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大阪の歴史馬鹿
by デンマン & 卑弥子
2009年9月22日
Subj:小百合さんから長~い返信をもらって、
めちゃウハウハと喜んでしまいましたよう! \(*^_^*)/キャハハハ。。。
Date: 26/08/2009 2:36:57 PM
ブログであまり 批判しなように。
他人は関係ない さあ どんな 返信? 人間として間違っていることは間違っていると! “批判のないところに進歩なし!” “愛なき批判は空虚にして
批判なき愛は盲目なり” これが僕ちゃんの座右の銘ですよう! \(*^_^*)/ キャハハハ。。。 今の日本の政治家を見てください! 居ません!
板垣退助 昔は“板垣死すとも自由は死せず”と言った政治家が居た。
いったい、真面目に批判している政治家が何人居るのか? 批判などどうでもいい! つまり、「苫小牧密室見殺し事件」のヒロインのように、自分だけの事しか考えられない“お坊っちゃん、お嬢ちゃん”のままで大人になってしまった世間知らずな政治家が多すぎる! だから、せめて、デンマンのような“批判する”人間が、一人でも二人でも多く出て来ることは、 “批判のないところに進歩なし!”
“愛なき批判は空虚にして
批判なき愛は盲目なり” とにかく、このようなことを言う機会を作ってくれる小百合さんと、めれんげさんに僕は感謝しているのです。 “批判のないところに進歩なし!”
“愛なき批判は空虚にして
批判なき愛は盲目なり”
ヽ(´ー`)ノ きゃははははは。。。 (\__/) じゃあねぇ~
デンマンさん。。。今日は大阪城のお話でござ~♪~ますか?
どうして大阪城の話が出てくるのですか? だってぇ~、大阪城の写真がトップに貼り付けてござ~♪~ますわ。 いや。。。大阪城の話ではありません。 でも、「大阪の歴史馬鹿」というタイトルでござ~♪~ますわ。大阪と歴史のことでお話になるのでしょう? そうなのですよう。 豊臣秀吉のことでござ~♪~ますか? いや。。。違うのですよう。。。実は、卑弥子さんがマスコットギャルをやっている歴史サイトで珍しくコメントをもらったのですよう。 どのようなコメントでござ~♪~ますか? ここに書き出しますから読んでみてください。
投稿日時:Sep 14 2009 / 17:22:23
Pacific Daylight Saving Time (日本時間:9月15日 火曜日 午前9時22分) お名前: はぁ? 御感想:
韓子(現地女性に産ませた子)がルーツであるとして なんだか。。。良く訳の分からないコメントでござ~♪~ますわねぇ~?いったいどの記事にコメントをもらったのですか? 次の記事ですよう。
■『藤原氏の祖先は
朝鮮半島からやってきた』 (2003年7月14日) 藤原氏の祖先はマジで朝鮮半島からやって来たのでござ~♪~ますか? だから、その事について僕は上の記事を書いたのですよう。 。。。んで、成りすまし馬鹿さんがコメントを書いたのでござ~♪~ますか? やっぱり、卑弥子さんもそう思いましたか? だってぇ~、見慣れた成りすまし馬鹿さんの漫画が貼り付けてござ~♪~ますわ。 実は、僕も初めてコメントを見た時に成りすまし馬鹿が書いたのではないか?そう思ってしまったのですよう。 違うのでござ~♪~ますか? 違うのですよう。名前に“はぁ?”と書いている愚かな所は良く似ているけれど、成りすまし馬鹿と違って僕が書いた記事の内容について批判しているのですよう。 それで、デンマンさんは、また厳しく反論したのですわね? うへへへへ。。。よく分かりますねぇ~? だってぇ、小百合さんがメールの中で言った事をデンマンさんが取り上げていますわ。 ブログであまり 批判しなように。
他人は関係ない さあ どんな 返信? あのねぇ~、僕は言い返している訳ではないのですよう。 何をしているのでござ~♪~ますか? だから、批判されれば、当然僕は反論しますよう。お互いに批判し合う事で世の中は良い方向に前進してゆくのですよう。 “批判のないところに進歩なし!”
“愛なき批判は空虚にして
批判なき愛は盲目なり”
ヽ(´ー`)ノ きゃははははは。。。 分かりましたわ。。。んで、デンマンさんはコメントを書いてくださった大阪の歴史馬鹿さんに対して反論なさったのでござ~♪~ますわね? そうなのですよう。。。とにかく、僕の返信を読んでみてください。
投稿日時:Sep 15 2009 / 15:12:10
Pacific Daylight Saving Time (日本時間:9月16日 水曜日 午前7時12分) お名前: Akira Kato (a.k.a. デンマン) 御感想:
まずは、コメント書いてくれてありがとう。 実は、オマエのことを僕は、てっきり“成りすまし馬鹿”だと思ってしまった。もし、成りすまし馬鹿のことが分からなかったらGOOGLEで検索してみてね。
ところで、どうしてオマエの事を“成りすまし馬鹿”だと思ってしまったのか? でも、大きな違いにすぐに気づいた。 ところが、オマエのコメントは記事の内容についてコメントしている。
219.106.61.132
nt11-ppp2418.osaka.sannet.ne.jp ネットワーク名: SANNET 上位情報: 成りすまし馬鹿の IPアドレスは次の通り。
成りすまし馬鹿の IPアドレス: 122.131.139.184 プロバイダー: BIGLOBE 『成りすまし馬鹿のふるさと』より 見てすぐに分かるようにオマエの IPアドレスとは全く違う。もちろん、プロバイダーも違う。ところが偶然にも アクセスポイントが大阪。 どうして、オマエの書いたコメントに対して、このように IPアドレスまで晒して返信を書いているのか? 理由は2つ。 “文は人なり!” オマエも聞いた事があるだろう?! 第2の理由は、オマエは、自分では歴史についてかなり分かっているつもりになっているけれど、文章の読み方も満足に理解していない。 「結局、半島系であるという根拠を
何も示してない」 僕はちゃんと根拠を書いている。 オマエは自分の書いたコメントに対して自信が持てないから、無意識のうちにオマエはハンドル名を書かずに“はぁ?”なんて、とぼけた事を書いている! 分かるよな? でも、僕もふざけてばかりいては、この記事をここまで読んできた人に対して失礼だから、一応、根拠を示します。
「右京の人正六位上栗原勝子公言す。子等が先祖伊賀都臣(いかつのおみ)は、是中臣の遠祖、
天御中主命20世の孫,意美佐夜麻(おみさやま)の子なり。伊賀都臣、神功皇后の御世に、百済に使いして、彼の土の女を娶りて,二男を生み、名づけて本大臣、小大臣といふ。 はるかに本系を尋ねて聖朝に帰す。 時に美濃国不破郡栗原の地を賜ひて以て居らしむ。その後、居に因って、氏を命じて、遂に栗原勝の姓を負へり。 伏して乞らくは、中臣栗原連を蒙り賜はむと。是に於いて子公等男女十八人請に依って、改めて之を賜ふ」
伊賀都臣、神功皇后の御世に、百済に使いして、その土地で現地の女と結ばれて、子供を作った。その子供たちがやがて成長して、日本にやってきた。
しかし、すでに述べたように、古事記において、中臣氏が、いかに古い氏族であるか、しかも天皇家と並ぶほど古い家系であるか、ということを、それとなく述べています。
しかし、具体的にどのようなことをしたかと言うことは、書きたくても書けなかったと言うのが真相でしょう。 変なことを書くと嘘がばれますから。それでも、そこ、ここで、それとなく、小出しに、日本古来の氏族であることを述べています。 ほとんど、くどいくらいに繰り返されています。20世と言うと、一世代が20年とすると400年、30年とすれば、600年です。 仮に私が、「400年前の私の祖先は加藤清正です」と言ったら、あなたは信じますか?
上の記述で延べていることは、言ってみれば、そのような程度のことです。 それを、すでに見てきたように、くどくどと言っているわけです。もちろん、それが、『古事記』、『日本書紀』、『続日本紀』の編集に携わってきた藤原氏の狙いです。 「ここまで書けば、もう大丈夫だろう。 我われが日本古来から連綿と続いている氏族であると認めてくれるだろう。 そろそろ本当のことを書いても、我われが、百済からやってきたとは、もう誰も思うまい」 そういう作為が感じ取れます。 大阪の歴史馬鹿のはぁ~ちゃん!
藤原氏の祖先は、伊賀都臣の時代の500年前に生存していたと思われる天御中主命の血を引き継いでいます。
(建前で、このように藤原氏が日本古来の氏族と結びついているように書いている。でも、言っているだけで、根拠を示してない。) 伊賀都臣と呼ばれた我われ藤原氏の祖先が、神功皇后の時代に、百済に使いして、その土地で現地の女と結ばれて、子供を作った。その子供たちがやがて成長して、 では、藤原氏は百済人を祖先に持つの? つまり、日本人の血など全く持っていなかったために、このようにクドクドと20世前の天御中主命を持ち出してきたのですよう。 大阪の歴史馬鹿のはぁ~ちゃん!
伊賀都臣(いかつのおみ)が20世前(約500年前)の天御中主命の血を引き継いでいる根拠を示せ!
そう尋ねるべきだったのだよう!
『藤原氏の祖先は朝鮮半島からやってきた』より
でも、デンマンさん。。。ムキになって反論したところで、藤原氏が朝鮮半島からやって来ようが、カムチャッカ半島から来ようが、あるいはフィリピンからカヌーに乗ってやって来ようが、現在、日本に住んでいる人にとっては、どうでも良いことでござ~♪~ますわ。
あれっ。。。「日本文化と源氏物語」を京都の女子大学で講義している橘卑弥子・准教授の言葉とは思えませんねぇ~。。。 あたくしが何か間違ったことでも申し上げましたか? あのねぇ~、藤原氏がどこからやって来たのか?現在の日本国民にとってどうでもよい事なら、源氏物語だって、現在、秋葉でコスプレに現(うつつ)を抜かしているミーちゃんハーちゃんにとっては、どうでもいいことでしょう。 でも、少女コミックに載っている源氏物語はミーちゃんハーちゃんにも人気がござ~♪~ますわ。おほほほほほ。。。 つまり、卑弥子さんは源氏物語研究家から少女コミックの漫画家に転向するのですか? どうして、あたくしが少女コミックの漫画家に転向しなければならないのでざ~♪~ますか? だってぇ、最近のミーちゃんハーちゃんは源氏物語など読みませんよう。 あたくしはミーハーのために源氏物語を研究しているのではござ~♪~ませんわ。 誰のために研究しているのですか? 世界に散らばっている源氏物語愛好家でござ~♪~ますわ。 ほおォ~。。。世界に散らばっている源氏物語愛好家ですか? そうですわ。デンマンさんだって次のランキングを見たでしょう?
世界一有名な日本人は?
2009年05月03日08時10分 「wikipedia」を元にした"世界一有名な日本人ランキング"が話題を呼んでいる。 その人物とは、アニメソング界の"アニキ"こと歌手の水木一郎。 ちなみに、この調査は2009年1月現在のランキングとされており、トップ10は以下の通り。 1.水木一郎(歌手) 91言語
もちろん、見ましたよう。
だったらお分かりになるでしょう?紫式部の名前が Lady Murasaki として世界中の文学者の間に知られているのでござ~♪~ますわ。日本の女性では、ただ一人トップ10に入っているのでござ~♪~ますう。さらに、500年以上昔の人物では紫式部女史ただ一人なのですわ。だから、あたくしは一生懸命に源氏物語を研究しているのですう。 それならば、藤原氏についても同じようなことが言えるのですよう。 でも、上のランキングには藤原氏のどの方もトップ10には入っていないのでござ~♪~ますわ。 あのねぇ~、藤原氏がトップ10に入っているかどうかが問題ではないのですよう。 。。。んで、何が問題なのでござ~♪~ますか? 歴史は繰り返す。
歴史を学ばない者は失敗を繰り返す。
温故知新
故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知る。
つまり、歴史を深く追及することによって、
現代への認識を深める。 卑弥子さんにも分かるでしょう?歴史の中には真理が潜(ひそ)んでいるのですよう。 たとえば。。。? 僕が書いた藤原氏の記事のテーマは、権力者という者は自分を正当化する、と言う事ですよう。 藤原氏が何を正当化したのでござ~♪~ますか? つまり、自分たちが日本の政権を担(にな)う正当な日本人であることを『古事記』、『日本書紀』、『続日本紀』を編集することによって正当化したのですよう。
【卑弥子の独り言】
ですってぇ~。。。 触らぬ神に祟(たた)りなし。
触らぬ蜂は刺さぬ。
まかぬ種は生えぬ。
長いものには巻かれろ。 日和見主義、事なかれ主義ですよね。 “批判のないところに進歩なし!” はい、はい、はい。。。 麻生太郎首相がたびたび漢字を読み間違えたので、国民も呆れ返ってしまったのですわよね。 しかし、政権与党が変わったとは言え、日本の馴れ合い政治、根回し政治では、日本の将来には期待が持てませんよね。 やっぱり、批判は大切なのかもしれませんわ。 とにかく、デンマンさんのお話は、まだ面白くなるようでござ~♪~ますわ。
ィ~ハァ~♪~! メチャ面白い、
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こんにちは。ジューンです。
“百済”
この言葉を初めて目にした時、
わたしは“ひゃくさい”と読んだのですわ。
もちろん、デンマンさんに笑われてしまいました。
日本人で歴史を勉強したら、
まず間違いなく“くだら”と読みますよね。
でも、どうして?
あなたは考えてみたことがありますか?
デンマンさんの説によると
百済は「くんなら」がつづまって
日本人に読み易いように
“くだら”になったと言いました。
“くん”とは大きな国、
“なら”とはやはり国だそうです。
つまり、「大きな国」を意味するそうです。
では、百済寺はどう読むと思いますか?
“くだらじ”ではありません。
“ひゃくさいじ”と読むのです。
このお寺は実際に滋賀県にあります。
今から1400年前の推古14年(606)に、
渡来人のために聖徳太子が建てたのだそうです。
お堂は百済の「龍雲寺」を真似て建てられました。
鎌倉時代には「天台別院」と呼ばれて
お坊さんが1,300人も住む
巨大寺院になったそうです。
ところが、織田信長に敵対する
戦争をする“僧兵”が居たために
天正元年4月11日に信長の焼討ちに遭いました。
お坊さんたちが住んでいた宿坊は
すべて焼けてしまいましたが、
往時の姿は「石垣参道」、「千年菩提樹」をはじめ
樹齢数百年の巨杉、山桜、椿などから
偲ぶことができます。
ところで、卑弥子さんが面白い記事をまとめました。
時間があったらぜひ読んでみてくださいね。
では、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょうね。
じゃあね。
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