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小百合物語
 

 

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人のための
医療
2009年10月30日

件名:おはよう!駒形屋のゼリーフライを

食べましたよう。

オカラは入ってなかった。

きゃはははは。。。♪┌(・。・)┘♪

日付: Thu, 29 Oct 2009 11:15:32 +0900
差出人: "green@infoseek.jp"
宛先: "domini@yahoo.co.jp"
CC: "barclay1720@aol.com"

今朝は9時20分に実家を出てネット喫茶「ミルミル」に向かいました。
空は晴れて天気は良かったけれど、残念ながら西の空は霞がかかったように見えた。
富士山は見えなさそうだったので
久下(くげ)橋には行きませんでした。

白い綿帽子をかぶった富士山が見えると気分が爽快になるのだけれど、本当に残念でした。
富士山はいいよね。

やっぱり日本の自然は素晴らしい。
日本の政治が駄目でも、日本は僕のふるさとですからね。
ふるさとは、やっぱり素晴らしい。
この素晴らしさだけは、政治が駄目でも存続してほしい。

10月24日の土曜日、「ミルミル」の帰りに行田市の水城公園へ寄りました。
午後4時30頃でした。
公園の北入り口近くにある駒形屋は、やっていないだろうと思ったら店が開いてましたよう。
うれしい驚きでした。
今回、帰省してから1度だけしか開いているのを見たことがない。

40代のおばちゃんと20代のお姉さんが店に居ました。
ゼリーフライ1個60円。
5個買いました。
実家に戻って、すぐに1個を食べました。

初めて駒形屋のゼリーフライを食べた。
オカラが入ってないんだよね。
子供のころ食べた“銭(ゼニ)フライ”の味とは違う!
形は円錐型だった。銭フライより小さめだった。
子供の頃の銭フライは“穴の開いてない天保銭”のような形をしていましたよう。

でも、お袋は“うまい、うまい”と言って食べましたよう。

“昔の銭フライの味と比べてどう?”

僕がそう尋ねたら食べたことがない、と言うのでした。
ええっ!・・・マジで?!
驚きましたよう!

僕の子供の頃は旨いものって、身の回りにあまりなかったのですよ。
子供の頃はゼリーフライをゼニ(銭)フライと呼んでいたものです。
お祭りの時に屋台を引っ張ってきて、その屋台で老人夫婦がゼニフライを揚げて売っていたのですよう。
一枚5円でしたよう。うへへへへ。。。

旨かったですねぇ~。
その老人夫婦の顔は今でもはっきりと思い出すことができますよう。
まるで昨日のように。。。
あの味も今、口の中によみがえってきたほどです。 yam,yam,yummy...
実は、ゼニフライは、その老人夫婦が作っていたもの以外は食べた事がないのですよう。

■『思い出を食べる』

 (2008年5月30日)

去年の5月にも書いたように、僕の子供の頃は忍川(おしかわ)をはさんで大長寺の反対側にあった“どんつく”と呼んでいたお寺のお祭りの時にしか食べなかった。
そのお寺は日蓮宗の一派でした。
信徒は10人ほどで隊列を組んで団扇太鼓(うちわだいこ)をたたきながら「寒の入り」の時期に勤行(ごんぎょう)するのでした。
灯篭(とうろう)流しには必ずその老夫婦が屋台を引っ張ってきて、その屋台でゼニフライを揚げて売ったものです。
それを僕は楽しみにしていた。

当然、お袋も銭フライを食べたものと思っていたのですが一度も食べたことがない、と言うのですよう。
本当に驚きましたね。
貧乏だったからね。

「親は子供が食べているのを見るだけでもうれしいもの。。。
匂いだけで十分だったわ」

お袋は、そう言ったものですよう。
大正時代か?いや、明治時代か?
あるいは『水戸黄門』か?
『子連れ狼』か?
その番組の中に出てくる母親が子供に言うようなことを僕のお袋は言ったのでした。
驚きましたよう。
マジで。。。!

そう言えば、10月26日の鳩山首相の所信表明演説の中でも『水戸黄門』に出てくるような話をしていましたよね。
首相が8月に衆院選の応援演説で青森県を訪問した時、職に就けずに息子が自殺した老母から
「毎年3万人以上の命が絶たれているのに政治には実感が乏しい」
と訴えられたエピソードを鳩山さんは紹介していました。
鳩山さんは次のように言ったのでした。

おばあさんのその手の感触。その目の中の悲しみ。
私には忘れることができないし、断じて忘れてはならない。

(中略)

『最も大切なこと』をおろそかにし続けた政治と
行政への痛烈な批判。その声に謙虚に耳を傾ける」

うん、うん、うん。。。
鳩山さんの所信表明演説は実に素晴らしかった。

“無血の平成維新”

鳩山さんは、そう言ったけれど、やっていることを見ると“無血の平成維新”から程遠い!

なぜ?

亀井人事を見ればすぐ分かる!
民主党は『官僚の天下り・渡り禁止』と常々言っていた。
それなのに元大蔵官僚の斉藤氏を日本郵政新社長に起用したのですよう。
確かに斎藤氏は官僚出身でも、民間で14年間働いていた事になっている。
しかし、今回の選挙で民主党が選ばれたのは、自民党の愚かな政治のやり方にうんざりしたから国民は民主党に期待した。
もともと亀井さんは新政府にお呼びではない人なのですよう。

どうして?

国民は民主党に期待を寄せたのです。
国民新党など“屁のツッパリにもならない”と国民は判断したのですよう。
要するに、日本国民は亀井さんの入閣などまったく期待もしていない。望んでもいないのですよう!
国民が主役の政治になってない!
亀井さんが入閣したことは日本の政治が国民の総意ではなく民主党のエゴに基づいて行われている事の証拠なんですよう。
つまり、民主党に“無血の平成維新”を決行する人が居ないことの証拠ですよう。

民主党に人が居ないから亀井さんを民主党のエゴで担(かつ)ぎ出す。
国民から期待されたわけでもない。
もともと素晴らしいビジョンを持っていない亀井さんだから、人材を発掘しようともしなければ、そのような素晴らしい民間の人材とのつながりも持っていない。
それで、旧官僚の斉藤さんを選んだ。
民主党のエゴです。
国民の総意を無視した人事になってしまっているのですよう。

2009年衆議院選挙結果

自民党があまりにも馬鹿な事をやり過ぎたから、日本国民は頭に来て反対党の筆頭である民主党に票を入れた。
このことを謙虚に受け止めている民主党議員がほとんど居ない!
それで、国民新党から国民がまったく期待もしていない亀井さんを民主党政府に大臣として迎える。
国民の気持ちを無視したやり方ですよう。
つまり、民主党の体質は自民党と大きく変わってない!

このままのやり方を続けていたら、また国民は民主党政権に頭にきて、絶望的に政治から離れてゆくかもしれない。
いづれにしても、日本の政治は暗い。民主党にも人が居ないのですよう。
この事実を明確に曝(さら)け出したのが今回の亀井人事です。

民主党政権は“コンクリートから人へ”と言っているけれど、
言っているだけ!
日本の未来を本当に素晴らしい国にしようとするビジョンを持った政治家が居ない!

ビジョンを持たないグータラな世襲の政治屋のために貴重な小百合さんの人生、家族の生活を無駄にすることはないのですよう。
いつまでも日本の駄目な政治家が国民のためではなく自分たち(政治家)のための政治をしているならば、日本に留まることはないのですよう。
世界に羽ばたく。
そういう選択もあるのです。
そして海外から日本を良くする選択だってある!

戦後の復興を立ち上げた政治家が今は居ない!
ビジョンを持たず日本を悪くする政治屋だけが馬鹿なことをやっている。
しみじみと、そう感じるこの頃です。

でも、今日もウィンナコーヒーを飲みながら
のんびりと楽しんで書いていますよう。

小百合さんと再会して幸せを噛み締めています。

ヽ(´ー`)ノ きゃはははは。。。

ありがとう。

じゃあね。

(V__/)
(+'.'+)
(")_(")

デンマンさん。。。お母様の御様態は、その後どうでござ~♪~ますか?

命に別状はありません。今のところ快方に向かっていますよう。

。。。んで、デンマンさんは、お医者様に何か苦情をおっしゃったのでござ~♪~ますか?

あれっ。。。卑弥子さんは良~く分かりますねぇ~!。。。そうなのですよう。僕は冷静なつもりでも、かなり感情的になって苦情を。。。いや。。。病院の医療体制、それに、付き添いの人に対する医師の態度・意識に対して批判したのですよう。

めれんげさんのように感情を爆発させてしまったのでござ~♪~ますか?

いや。。。めれんげさんほど感情をむき出しにしなかったと思いますゥ。

マジで。。。?

もちろんですよう。。。お袋の命にかかわることだから僕は冷静になろうと努力しながらナース・ステーションへ行って看護婦さんに「担当のお医者さんに会いたい」と申し出たのですよう。

そしたら。。。?

お袋の担当医は二人居るのですよう。一人は当日(10月28日水曜日)「休んでいる」と言うのです。

。。。んで、もう一人の担当の先生は。。。?

「ただいま巡回中です」と言うのです。30分から1時間以内に会えるでしょうか?と僕が尋ねたら、検査がすべて済んでから、担当の医師からご家族の方へご連絡がゆきますから、その時、先生にお聞きください、と言ったのですよう。

それがデンマンさんには不満だったのでござ~♪~ますか?

あのねぇ~、僕のお袋は10月26日(月曜日)の午後3時半に救急車で行田中央総合病院へ搬送されたのです。

。。。んで、デンマンさんは生まれて初めて救急車に乗ってお母様と一緒に病院へ行かれたのでござ~♪~ますか?

そうなのです。僕の叔父が救急車で病院へ搬送され診断ミス・医療ミスで亡くなった事があったから、お袋にはそのような事が無いようにと僕はかなり心配していたのですよう。

『診断ミス・診療ミスによる死亡例』

デンマンさんの叔父様は行田中央総合病院で亡くなったのでござ~♪~ますか?

いや、別の町の病院です。詳しいことは上の記事に書きました。

それで、デンマンさんは何が不満だったのでござ~♪~ますか?

お袋は救急医療室で手当てを受けたのです。

それで。。。?

救急担当の医者に聞いたら、「これから検査をします。それからですね」と言った。意識障害と狭心症という診断で2週間の予定で入院することになった。手続きは翌日にすることにして、とりあえず5時半に僕は実家に戻った。

それで。。。?

翌日(27日)、お袋の病室に見舞いに行ったけれど、状態は快方に向かっているように見えた。しかし、亡くなった叔父も病状が急変して死亡したように、お袋の病状も急変するかもしれない。だから、僕は心配だった。それで担当の看護婦さんに担当医と会って話がしたいと言ったら同じ返事が返ってきた。つまり、検査がすべて済んでから担当医の方から連絡がゆくから、その時にお会い下さいと言う事だった。

。。。んで、デンマンさんはどうなさったのでござ~♪~ますか?

28日の午後3時にお袋の病室に見舞いに行った時に、どうしても担当の先生に話がしたいと思ったのですよう。

やっぱり、心配になったのでござ~♪~ますか?

当然でしょう!僕の叔父は診断ミス・医療ミスで亡くなったのですからね。そうならないように僕は担当医にしっかりとお袋の病状を尋ねようと思ったのですよう。

それでナース・ステーションに行ったのですか?

そうですゥ。

それで。。。?

看護婦さんは、やっぱり同じ事を言ったのですよう。「検査がすべて済んでから担当医の方から連絡がゆきます。その時にお会い下さい」と言うのです。

。。。んで、デンマンさんはどうなさったのでござ~♪~ますか?

あのねぇ~、お袋が病院に搬送されてからすでに48時間が経過していたのですよう。その間、僕は看護婦からも担当医からも何の説明も受けてなかった。

つまり、デンマンさんは心配のあまり、かなりムカついたのでござ~♪~ますわね?

当然でしょう!たとえばねぇ、外来患者として歩いて病院へ行って検査を受けて、その結果を待つ、と言うのなら48時間何も連絡が無くても我慢できるかもしれない。だけど、お袋の場合には救急車で病院へ搬送されたのですよう。僕はお袋が死んでしまったのではないだろうか?そう思ってテーブルにうつ伏せているお袋の肩を揺らした。そうしたら弱々しいけれど意識があった。それで、緊急を要すると思って救急車を呼んだ。それなのに48時間、僕は看護婦からも担当医からも何の説明も受けてない。

それでデンマンさんはムカついてしまったのでござ~♪~ますか?

だから、僕はなるべく冷静になって、めれんげさんのような見苦しいヒステリー状態にならないようにと最善の努力を払ったのですよう。んも~~

それで。。。?

僕は看護婦さんに言いましたよう。救急医療を必要としている救急患者が今、どのような状態なのか?付き添いの人は心配している。それなのに48時間も何の説明も無く放置されていたら、付き添いの人はどれほど心配になっているか?あなたには、そういう付き添いの人の心理が理解できないのですか?!僕は必死になって長いブログを書くような心の状態で懇切丁寧に、その時の僕の心配のほどを説明しましたよう。

それで。。。?

看護婦さんは、僕の話を聞いても、また同じ事を繰り返すのですよう。僕は冷静になろうとしたけれど、自分の頬が怒りでピクピク痙攣するのを感じましたよう。

。。。んで?

看護婦さんも僕が異常に怒っているのが判ったと見えて「お待ちください。先生に連絡してみますから」。。。そう言って出てゆきました。

それで。。。?

僕はお袋の病室で10分ぐらい待ちました。看護婦さんがやって来て、「先生がお見えになりましたから、どうぞ」と言う。

それで。。。?

看護婦さんは僕をナース・ステーションに案内した。そこで副院長が僕を待っていた。僕は副院長と話をしたいわけじゃない。担当医と話がしたい、と言った。

そしたら。。。?

担当医は巡回中で僕には会えないと言う。「担当医でないあなたには僕のお袋の病状は分からないでしょう!」。。。僕がそう言うと「いいえ、あなたのお母さんの検査結果を私も見ているから、あなたにご説明できます」と言う。

それで、副院長様はデンマンさんに、ご説明し始めたのでござ~♪~ますか?

その前に僕は行田中央総合病院の緊急医療体制には問題があると批判し始めたのですよう。

マジで。。。?

もちろんですよう。副院長はギョッとしたような表情を浮かべたけれど、あくまで冷静でした。

デンマンさんは、またお医者様に対して文句を言ったのでござ~♪~ますか?

文句ではないのですよう。批判です。

緊急医療体制の問題なんて。。。飛躍過ぎているのではござ~♪~ませんか?

あのねぇ、僕は前日(10月27日火曜日)午後10時にNHKの『プロフェッショナル』という番組を見たのですよう。

診察室には笑顔が絶えない

医師・中村伸一が運命の出会いをしたのは、17年前だった。
医師になって3年目、京都との県境にある福井県名田庄村(現:おおい町名田庄地区)の診療所にただ一人の医師として赴任。

以来、住民たちの命と健康を支え、時には逆に支えられながら、医師として成長してきた。
「日本の原風景が残る山村に恋をし、結婚した」自らと地域との関係を中村はそう話す。

村の気候や風土、暮らしは熟知。
患者のほとんどは顔なじみで、家族やご近所の顔も頭に浮かぶ。
だからこそ、「人を診る」ことが出来るのである。

症状や痛みを抑えることがすべてという治療ではなく、患者一人一人がいきいきと過ごすためには何が必要かを考える。
膝痛に悩まされながらも、グランドゴルフが生きがいのお年寄り。
安静を言い渡すより、痛み止めを打ちながら、趣味を続けさせる方を選択する。
患者のしこう、趣味、生活、そして人生そのものを知り、共感しているから出来る診断があるのだ。
中村は自らを「名田庄の専門医」だという。
地域のこと、そして患者一人一人のバックグラウンドを頭に詰めこみ、患者の人生に寄り添い続けて17年。
今では、患者たちが、こう口をそろえる。
「中村先生以外は、考えられません」


『“いい人生やった”その一言のために』より
NHK『プロフェッショナル』

僕はこの番組を見て医療のあり方、そしてそれを実践している医師を見て感動したのですよう。

病を診るのではなく人を診る

患者一人一人のバックグラウンドを

頭に詰めこみ、

患者の人生に寄り添い続ける医療

僕は感動を副院長に伝えようと懸命に説明したのですよう。

副院長先生はデンマンさんのおっしゃる事を真面目にお聞きしたのでござ~♪~ますか?

分かってくれたようですよう。

つまり、副院長先生はtanomuさんのようにデンマンさんを敬遠したのでござ~♪~ますわね?

ん。。。?副院長先生はtanomuさんのように僕を敬遠したァ?

そうでござ~♪~ますわ。

卑弥子さんは、どうしてtanomuさんを持ち出すのですか?

だってぇ~、tanomuさんは次のように書いていましたわ。

めれんげさんの見解

めれんげさんに連絡をとり、

デンマンさんに関して取材させていただきました

曰く、

「他人を馬鹿呼ばわりする前に

自分の身を省みてはどうか」

「いったんは、関係を修復したものの、

あまりの手前勝手さにうんざりしている」

「何よりも腹立たしいのは、めれんげの書いたものに

自分勝手に肉付けをして、愛のコラボなどという

噴飯物な文章に書き換えること」

「もう二度と関わるつもりはないし、めれんげをネタに

ブログを書くことに、心底不快感を覚える」

などなど、ネガティブな発言ばかりを

デンマンさんに対してされていました。

デンマンさんに取材を申し込むつもりはありません。

なぜなら、それをきっかけにタノム自身が

「第二のめれんげさん」に

なってしまうことを危惧するからです。

by tanomu

2009-10-05


『デンマンさんの生態研究 めれんげさんの見解』より

つまり、僕とかかわると「第二のめれんげさん」になると副院長も考えたと卑弥子さんは言うのですか?

そうですわ。

でもねぇ、副院長は僕がデンマンだと知らないし、ブログの事など一言も話していませんよう。

デンマンさんの話し方や話す様子に副院長先生は“危険なもの”を感じたのでござ~♪~ますわ。ちょうどtanomuさんが「第二のめれんげさん」になってしまうことを危惧するように。。。

あのねぇ~、それは卑弥子さんの考えすぎですよう。。。

【卑弥子の独り言】

ですってぇ~。。。
でも、あたくしの言おうとする事があなたにも、お分かりになるでしょう?
デンマンさんのブログには、なぜコメントが少ないのでしょうか?

それは、デンマンさんと関わると面倒な事になると皆さんが敬遠なさるからでござ~♪~ますわ。
あなただって、そう思うでしょう?

とにかく、面白いお話がまだ続きますう。
あなたも、どうかまたあさって読みに戻ってきてくださいまし。
じゃあね。

メチャ面白い、

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こんにちは。ジューンです。

1999年夏の「東芝事件」は

ネットでも画期的な事件でした。

東芝製ビデオデッキの修理に関し、

その対応に腹を立てた消費者が、

経緯をネットで公開したのです。

東芝側はホームページの一部削減をさせるため

「名誉権と営業権に基づく妨害排除の請求」の

仮処分を申請しました。

しかし、社会的な批判が高まり、

急遽謝罪を表明したのです。

仮処分の申し立ても取り下げました。

やはり、企業と言えども法の下には

個人と平等なのですよね。

「はてなダイアリー」のユーザーとして

デンマンさんが「はてなダイアリー」の問題点について

たくさん記事を書いています。

ユーザーと「はてなダイアリー」との関係も、

もちろん対等であるべきですよね。

ユーザーが不満を表明し、

釈明を求めているのであれば、

「はてなダイアリー」も誠実に対応すべきだと思います。

ネットの世界は単に現実世界の

向こうの虚像ではありません。

東芝事件のように、

ネット上で激しさを増したユーザーの声は、

間違いなく現実社会に戻ってくるからです。

デンマンさんが「はてなダイアリー」を批判しています。

興味があったら次の記事を読んでみてくださいね。

『はてな批判 (2009年5月24日)』

ところで、英語の面白い話をまとめました。

興味があったら、

次のリンクをクリックして

読んでください。

■ 『あなたのための 楽しい英語』

■ 『性の俗説 (2008年3月4日)』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。


 





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