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『肥後ズイキ』は庶民の間で
使われていたのか? by Akira Kato
February 29, 2004
一口に『肥後ズイキ』と言っても
張形(はりがた)は男根を型取った女性用の性具です。将軍家の大奥、大名家の奥向(おくむき)といった男子禁制の場所で使われだしたことは、 前のページ(肥後ズイキが性具になったきっかけは?)で述べました。 肥後ズイキと言っても、実はいろいろなものがあるのですが、一般的には、張り形を指す場合が圧倒的に多いようです。 この張り形は、商家の女部屋などにも波及したようです。素材は牛や鹿の角を加工して、男根に似せてリアルに作ったものもありますが、 見つかった時のことを考えて、右の写真のように肥後ズイキをこけしに似せて作ったものなども使われたようです。 江戸の小咄に次のようなものがあります。これはもちろん、大奥の女性を扱ったものではありません。武家の妻でもなければ、公家の奥方でもありません。 むろん、商家の女部屋の女性でもありません。全く庶民の女性です。 このような小咄が江戸時代に庶民の間に広まったのですから、 たぶん似たようなことが現実にあったということは十分に考えられます。 そのように考えれば、張り形は、大奥だけではなく、庶民の間でも使われていたようです。次の小咄は江戸時代の一庶民の女性を取り上げたものです。とりあえず、 どのような内容なのか読んでみてください。
質屋の戸を、そっと開けて、入口に立った婦人がいた。貧しそうな身形(みなり)である。
「なにか特別の御用でも」 番頭が訊ねた。一見して訳ありげに思えたからだった。 「夫が亡くなりましてから、もう一年半。女の操を固く守り通して売り食いの日々を送ってまいりました。でも、どうしても最後の宝物を手離さなくてはならなくなったのです」 婦人は消え入るような声で語る。やはり、事情があったのだ。 番頭は喰い入るような眼を、あらためて婦人の全身に駆け巡らせた。年齢の頃は三十五、六歳というところか。暮らしやつれがもたらす、楚々とした佇いが男心に同情を超えた好意を与えるのだった。 多分、夫は粋な町火消しでもやっていたのかもしれない。番頭は勝手に想像した。日常の仕事は鳶職(とびしょく)と考えてみた。そういえば、町場の女とは違って、柔らかい物腰をしていても強い芯が通っているようだ。 すると、夫は火事場の事故で殉職でもしたのだろうか。いや、これまた勝手すぎる推測である。だが、一日中、机の前に座りづめの番頭には、そんな妄想が楽しい遊びになっているし、これがまた、ずばり当たることも多かった。 「では、その最後の宝物とやらを拝見いたしましょうか」 番頭は我に返って仕事に取りかかった。いや、婦人の持参した物に興味をもち、これが一体、なんであろうか、といった関心が大いに後押しをして仕事を急かせたといったほうが正しい。
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