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新しい
古代日本史
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藤原鎌足と軽皇子
July 25, 2003

 

Fujiwara Kamatari and his sons (kamatari2.jpg--289x396)

藤原鎌足は、山背大兄皇子事件のあと軽皇子を尋ねています。軽皇子はこの事件の重大さに、 すっかり気持ちが動揺してしまい、病気といって閉じ籠もっていたのです。すでに述べたように軽皇子は、人並みに権力欲はあったようですが、 ずいぶんと気の小さい人でした。後年、惨めな思い出のなかで、孤独のうちに亡くなります。

前のページの歌を読んでも分かるように、悲しみや、怒りを爆発させると言うようなタイプの人間ではありません。 この点、甥の中大兄皇子とは性格が、まったく正反対だと言っても過言ではないでしょう。中大兄皇子は、直行実行形で、こうだと決めたら、 何が何でも推し進めてゆく、と言うような決断力と勇気を兼ね備えています。他人の迷惑など考えないところがあります。 これは、すでに述べたように後年の話になりますが、大和に遷都を決めたときでも、間人(はしひと)皇后を無理やり引っ張ってゆくことはないと思うのですが、しかし、 こうと決めたら、もう何が何でも実行すると言う、 頑固なまでの実行力があります。これはもう、常識破りの実行力です。

鎌足は、初め、この軽皇子と蘇我入鹿暗殺を企てようとして皇子に近づいていったようです。それは当然のことです。 十代をようやく抜けて成人になろうとしている中大兄皇子より、軽皇子の方が、年齢からしても、落ち着きからしても、 重大なことを決行する上では、外見上ふさわしい人のように見受けられたことでしょう。しかし、『六韜』を暗記するほどに愛読していますから、鎌足は この両者の違いを十分観察しています。この六韜について知りたい場合は、このページ (マキアベリもビックリ、  藤原氏のバイブルとは?) を見てください。

大事をなす上で、中大兄皇子は、確かにまだ若すぎて、ちょっと見た目には危なっかしく見えます。しかし、 彼の決断力、実行力、勇気は、鎌足が考えている蘇我入鹿暗殺を行うためには、絶対に必要な条件です。 先ず間違いなく、この山背大兄皇子事件で、鎌足は軽皇子に対する考え方を変えたようです。しかし、鎌足の偉いところは、 軽皇子に見切りをつけても、絶対におろそかに扱っていないところです。もちろん手持ちの札を多く持っていた方が得だと言う打算も働いていたことでしょう。 いずれにしても、ここが中大兄皇子と決定的に違うところです。

中大兄皇子は、叔父さんに見切りをつけたら、もうさっさと置き去りにして、難波から大和へ都を移してしまいました。そればかりか、妹の 間人(はしひと)皇后まで無理やり連れて来てしまいます。この話を聞いたら、おそらく、10人のうち8人までが、これはひどすぎると思うでしょう。

鎌足は、同じ見切りをつけるにも、全く違うやり方です。今の我われの感覚で言えば、非常に人間味のあるやり方です。 しかし、歴史の上で、鎌足が動いてきた軌跡を見ると、とてもエゲツナイ事をしています。人を殺すなどなんとも思っていないような感覚で、 冷静に事を運んでゆき、 完璧なまでに蘇我入鹿を暗殺しています。次男の不比等になると、もっとすごい。天智天皇を暗殺した手際などは、 まさに完全犯罪に近いものが感じられます。それは、このページ (天智帝暗殺の謎) で説明しています。

 

古代のジェームズ・ボンド007

Ancient James Bond 007 (bond007.gif--500x363)

私が十代の頃は、このジェームズ・ボンドが一世を風靡した時代ですから、鎌足や不比等の活躍を見ると、 ついつい007がイメージとして浮かんできます。まるで、古代に、007ジェームズ・ボンドが現れたのではないかと思うほどの手際の良さです。 そして、ジェームズ・ボンドと言えば、当然のことながら、 魅力的な女性が登場します。これは、鎌足、その次男・不比等についても当てはまります。 それでは、その魅力的な女性について見てゆきたいと思います。

(ジェームズ・ボンドを知らない人のために、 このページの下に、バナーを貼りました。クリックすると、アマゾン・ジャパンのサイトへ行きます。本やビデオなどが選べるようになっています。)

鎌足が軽皇子のもとをを訪れたとき、この皇子は、蘇我入鹿暗殺を成し遂げられるような勇気を持ち合わせてはいない、 ということを、すぐに悟ったでしょう。鎌足が皇子を訪れたのは、おそらく、事件を起こした仲間が彼に耳打ちしたからでしょう。軽皇子が、 どうやら仮病を使って家に引き篭もっていると。鎌足は、まさかと思い、それで確かめに行ったわけです。 そしたら、本当だったというわけです。この人は、こんなに気の小さい人だったのかと、内心呆れていたかもしれません。 しかし、そんな様子はおくびにも出さずに、軽皇子の良い話し相手になって、あれやこれやと語り合ったようです。 具体的な内容は、記録に残されていません。しかし、軽皇子はこのとき鎌足と意気投合したようです。 大変な歓迎振りだったということが伝えられています。

しかし、伝えられているように、この初対面の時に、軽皇子の寵妃・小足媛(おたらしひめ)が鎌足をもてなし、 しかもベッドを共にしたわけではないと思います。 いずれにしても、この小足媛こそが、定慧の母親なのです。要するに、軽皇子は鎌足という人物にほれ込んだようで、言ってみれば、 『義兄弟』になる証に鎌足に寵妃の小足媛を与えたわけです。今ならば、女性の基本的人権の無視、女性を物として扱っているということで、 マスコミが騒ぐでしょうが、この当時は、これ以上の「友情」の証はなかったようです。おそらく軽皇子は小足媛にこう言ったことでしょう。

「あの人は、人間的に非常に良くできた人だ、僕が今まで出会った人とはまるで違う、これからも、あの人には、いろいろと、ちからになってもらえそうだ。 だからどうか、僕に尽くすと思って、あの人のために、これからも尽くして欲しい。お前と別れたくはないが、あの人にふさわしい女は、お前の他には居ない。 どうか、そこのところを聞き分けて欲しい」

そして、鎌足には、このように言ったかもしれません。「僕から言うのもおかしいけれど、 この女は、とにかく、よく気がつくし、賢いし、気立ての良い女だ。しかも、僕の知る限り、一番の見目麗しい女です。 手放したくはないが、これが今僕のできる、最善の友情の証だ。ぜひ、 末長くかわいがってやって欲しい。これからもよろしく頼みます」

このように言われたら、女としても悪い気はしないだろうし、女を貰い受ける男としても、感激するでしょう。事実、 鎌足は感激して軽皇子を大王にしたい、と舎人に語ったということが伝えられています。もちろん、 このような言い伝えがどこまで本当か、ということについては議論の余地があります。しかし、このような話が伝説として伝わっていることを思うと、 鎌足という人物が、血も涙もない、ただ単に政略・謀略の人にすぎなかったのではなく、人間的な魅力も兼ね備えていたということが、十分に考えられます。

もちろん、このようなことは、今日、昨日に持ち上がったのではなく、鎌足と軽皇子の付き合いが、ある程度続き、小足媛が時々もてなしに現れ、 鎌足が、そのもてなしに満足そうな様子を示し、そのことを軽皇子が認めた上で、話を切り出したことでしょう。 このようなことは、人情の機微を知りつくした者がやらないと、逆効果に成る恐れがあります。気に入らない女をもらったら、男は迷惑だし、 そうなると、女は下女にされてしまうわけで、保障されていた安楽な生活が、もらわれたときから地獄に変わります。

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鎌足と、この小足媛の場合には、軽皇子が人情の機微をわきまえていたと見えて、二人はうまく行ったようです。しかし、言葉の響きは良くありませんが、 鎌足と軽皇子が小足媛を共有していた時期があったわけで、定慧の生まれた日から逆算すると、ちょうどこの時期に当たってしまったらしいのです。 このように、父親がどちらかはっきりとしない場合には、生まれてくる子供は、身分の低いほうの男が父親として認知されるのが、この当時も含めて、 日本ではしきたりになりました。したがって、この場合には、たとえ父親が軽皇子であっても、世間では鎌足が父親であると言うことになるわけです。

定慧には、このような出生の秘密があったわけです。鎌足には、どちらが定慧の父親であるか、かなり早い時期に分かっていたでしょう。 少なくとも、定慧を出家させて、遣唐使と共に唐へ送り出すまでには、もうはっきりと分かっていたはずです。

定慧は利発な子供として育ちました。鎌足は、この子供の運命を彼の鋭い嗅覚で感じ取っていました。定慧が成長するにつれ、 彼の面影がどこかしら孝徳天皇に似てくるわけです。このことは非常に重要な意味があります。定慧が孝徳天皇の後胤であることは、すでに公然の秘密です。 当然皇位継承に関わってきます。孝徳天皇の跡を継ぐものは誰か?これまでの歴史を見ればすぐに分かるとおり、殺害、暗殺、謎の死は、 ほとんどすべてが、この皇位継承問題が絡んだことにより起こっています。山背大兄皇子の殺害などはそのよい例です。蘇我入鹿も、 皇極天皇に取り入って実権を握ろうとした。あわよくば、皇位につこうとした。したがって、鎌足と、中大兄皇子によって殺害されたわけです。 「邪魔者は消せ!」これが、その当時の政権維持のための鉄則です。このことを中大兄皇子と共に実行してきたのが、誰あろう、鎌足自身です。

もし、鎌足が、血も涙もない非情の人であったなら、すでに定慧の出生の秘密が分かった時点で、人知れずに定慧を闇に葬っていたことでしょう。 中大兄皇子の目が光っています。したがって、何とか手を打たないと、定慧も危険な立場に立たされるわけです。鎌足の結論は、 定慧を出家させて遣唐使と共に唐へ送り出すということです。これ以外に定慧の生きる道は残されていません。定慧だけではありません。 彼を天皇に仕立てようとしているのではないかという疑いがかけられれば、 鎌足の命さえ危なくなります。したがって、定慧と共に生き残るには彼を孝徳天皇の跡継ぎにする意思がないことをはっきりと表明しなければなりません。 今で言えば、小学校の4年生で、頭を丸めて、付き添いもなく、生きるか死ぬかの遣唐使船に乗って唐へ渡ってゆくのです。本当に涙をそそられるような話です。 しかも、孝徳天皇が亡くなり、次の天皇がはっきりするまでは帰ってこれません。

「生まれより育ち」「氏より育ち」とは、昔の人が言ったことですが、どうですか、この定慧を見てやってください。 11歳の身で付き添いもなく危険な船旅に出かけてゆくのです。 いつ帰ってこれるともはっきりしていません。別れが、この世で会う最後になるかもしれないのです。これが、 あの、仮病を使って家に閉じこもっていた気の小さい軽皇子の子供です。もし、軽皇子に対して、同じ事をしなさいと言ったら、 腰を抜かして一生立てなくなるでしょう。もし立ち上がれたら、遣唐使船に乗るのが怖くて、家出してしまうに違いありません。

いずれにしても、鎌足にしてみれば、定慧が生きている限り、時限爆弾を抱えているようなものです。自分の命までが危険にさらされる。 これほど危険なお荷物を、鎌足が、闇に葬らなかったということを考えるとき、私は、彼の人間性を改めて見直すようになりました。 山背大兄皇子の殺害といい、蘇我入鹿の暗殺といい、どの事件にも鎌足は深く関わっています。この血も涙もないような殺人は、 すべて鎌足が計画を立てたと言っても言いい過ぎではないでしょう。

なぜ、そういうことが言えるのかといえば、 すでに述べましたが彼の次男である不比等が天智帝を暗殺しています。そのやり方などを見ても、冷酷に計算されています、しかも、 完璧なまでに計画に基づいて実行されています。まさに、古代に出現した007ジェームズ・ボンドを見るようです。これは、 その後の藤原氏のやり方を見ても言える事です。冷酷無比、血も涙もないやり方です。

このようなことを考えれば、定慧を闇に葬ることなど、朝飯前のことのように思えるのですが、鎌足は、そのようにはしていません。 なぜか?やはり、人間というのは、根っからの悪人に生まれていないからでしょう。もちろん、根っから善人に生まれている人も居ませんが。 軽皇子の寵妃・小足媛がすばらしい人だったに違いありません。したがって、その子供の定慧を殺すには忍びなかったのでしょう。 小足媛に情が移ったように、その子供の定慧にも情が移ったのでしょう。

ところがですね、最近の日本でのニュースを見ていますと、母親が、子連れで離婚した後、新しい男とできてしまい、 子供の存在がわずらわしくなってきて、まだ、5つか6つの実の男の子を殺してしまった、というような事件がありました。 この事件などを表面的に見れば、本当に理解に苦しみます。日本の教育はどうなってしまったのだろう?家庭教育はどうなってしまったのだろうか? と考えさせられました。

いずれにしても、定慧は利発でしっかりした子供に成長しました。彼は、自分のおかれた立場を、おぼろげながら分かっていたようです。 自分のためにも、父親のためにも、出家して学問を学ばねばならなかったと。

遣唐使はまもなく帰ってきますが、定慧はその人たちと一緒に戻ってきませんでした。彼は、唐を発っても、途中百済に立ち寄り、 そこに長いこと滞在したといわれています。少年にして、懐かしい故郷から千里も離れたところにいるわけですから、彼の心のうちは、 どんなだったでしょうか? 百済に滞在した折に、彼は「故郷千里隔て,辺域四望秋なり」というような詩を作り、百済の詩人を感嘆させたといいます。 もちろん、私には、その詩が、優れているということがよく分かりません。ただ、彼が非常に頭脳明晰であり、回りの人たちが彼の人柄や、 才能に感心したということは確かなようです。それもそうでしょう。11歳で唐に渡り学問に励んだわけです。それまでに、 鎌足からの薫陶もあったでしょう。当時の平均的な少年と比べてみて、いや、現在の同じ年頃の少年と比べてみても、 定慧が、ぬきんでてまれな学識と経験をつんでいたと容易に想像することができます。

定慧は天智4年(665)に日本へ帰ってきました。この年は、白村江の戦いの2年後です。百済はそのとき滅亡していたわけですから、 一体何をしていたのかという疑問が頭をもたげてきます。百済は滅び、高句麗も風前の灯です。この当時、百済の王侯は、 多くの家臣と共に大和の国に渡来します。定慧の帰国したのが天智4年の9月、その年の12月に彼は大原の里で死んでいます。 死因は『家伝』によれば、百済士人「ひそかにその能を妬み、之を毒す」とあります。 高麗の僧道賢の書いたものによると病死したことになっています。

いずれにしても、定慧は天智4年12月23日に、23歳の若さで亡くなっています。懐かしい日本へやっと帰り着いて、ほっとする暇もないうちに、 その3ヶ月後に亡くなっています。なぜ?どうして?どういうわけなの?定慧の死は多くの謎に包まれています。その謎は、 次のページで解明しようと思います。

 

はい。あたくし、案内役の卑弥子でございます。
オホホほほ。。。こんな格好で出てきてしまいました。
えっ?なんですか?どうして、こんなかっこうで?とおたずねですか?
アーラいやだ!きまっているじゃございませんか!
あたくし、このお話の中の、小足姫のつもりでございます。
どう?似合っているでしょう?なんだか、気恥ずかしいですワ。

まあ、冗談はこのくらいにして...
下に、関連のリンクをリストアップしました。読んでくださいね。

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定慧の死の謎を解く (次のページ)

定慧出生の秘密 (前のページ)

 

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筆者紹介
Akira Kato (kato.jpg--180x135)
  • 日本とカナダの大学で教育を受ける。
  • 横浜にある大手の電器メーカーでコンピューターのソフトウエアの開発に従事する。
  • カナダのノースウエスト隼州政府・財務省に勤務する。
  • バンクーバーのランガラ・カレッジおよびサレーのクワンテレン・カレッジで講師を勤める。
  • ヨーロッパ、東南アジア、中国、北米を幅広く旅行する。
  • 現在、経営コンサルタント、フリーランス・ライターとして活躍している。



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